作業療法士を辞めたいと思った理由|限界を感じた私の体験談

OTが限界を迎えるとき作業療法士の体験談

みなさん、こんにちは(^^)

はむちゃんブログを運営している、はむちゃんです!

今回は

まだ頑張れる

そう思いながら、作業療法士として6年間働き続けた私が、

実はがんばりすぎて、心も体もすり減らしながら働いていた当時の話をしようと思います。

もし今、自分を責めながら頑張っている人がいたら、

少しでも心が軽くなりますように。

作業療法士として頑張り続けた日々

そもそも作業療法士を目指したきっかけは、

高校生の頃に祖母がキラキラした表情でリハビリをしている姿を見て、興味を持ったからです。

当時私にとって、作業療法士はマジシャンのように見えていました。

憧れていた作業療法士の資格を取得し、新卒1年目ではお世話になった実習先(A病院)に就職しました。

A病院について

A病院では

1年目:回復期病棟に配属
2年目3年目:亜急性期病棟に配属

A病院はのちにブラックだったと知ったのですが、

当時はその働き方が当たり前だと思っていました。

その働き方とは、

  • 休日扱いで研修を受けていた
    (実質10連勤とか普通にありました)
  • 雑用を新人だけに押し付けていた
  • 業務内容に対して給与が見合っていない
  • 上司が部下を守らない

当時は新卒で務めた職場なだけに自分も世間知らずで、それが当たり前の待遇だと思っておりました。

一生懸命、先輩についていっては残業手当なしで21時近くまで自己研鑽に励む毎日を約3年間送っていました。

当時はA病院がブラックだなんて思いもしませんでした。

今思えばこのころから静かに私の中で何かが崩れ落ちていたのではと思います。

B病院について

B病院では、4年目から6年目まで勤めていました。

生活期病棟に配属。

主に難病患者さんを担当していました。

人間関係は良好で上司も信頼でき、よくしてもらっておりました。

チームワークもよく居心地もとてもよかったです。

福利厚生もA病院に比べしっかりしており、これといった不満は全くありませんでした。

作業療法士として限界を感じた瞬間

B病院では、50床を作業療法士は私1人で担当していました。

神経難病を対象とした患者さんを50人担当する環境に、私はいつまでたっても慣れませんでした。

医療現場は常に人手不足の状態。

上司に相談するも作業療法士は1人配属がやっとでした。

「今までみんな1人で50人を担当できていたのになんで私にはできないんだろう

ずっとその思いが潜在的にあり、自分のことを責めては帰宅後に涙を流す日々が続きました。

また、ひとりひとり患者さんにしっかり向き合いながらリハビリをしたい私にとって、
時間が全然足りませんでした。

思い通りにリハビリを提供できず全部中途半端な気がして、

「こんな中途半端なリハビリを提供して最低だな。

そう思うようになり、そんな自分が許せなくてとても苦しかったです。

「ゆるやかに進行していくのが難病であり、現状維持が理想的な目標」

頭ではわかっているつもりでも、「現状維持」という目標が私の中で腑に落ちず、

ずっともやもやしていました。

そんなある日、B病院にて作業療法士5年目を迎えたころ、上司に学会発表を提案されました。

元々学会発表にはとても興味はありましたが勇気が出ずいつも見送っていました。

しかし、当時の上司はフォローすると、一緒に考えると言ってくださり、

私の経験値的にも成長できるチャンスだと思い引き受けました。

しかし、神経難病の患者さんを相手に学会発表することは想像以上に困難なことばかりでした。

そんな日々を送っていたとき、徐々にこのような症状が出始めました。

  • 不眠傾向になり朝起きるのがつらくなる
  • 勝手に涙が出てくる日々が続く
  • 好きだった趣味を心から楽しめない
  • 作業療法士の仕事が好きなはずなのに辞めたくなる
  • 仕事に行きたくない
  • イライラまたは気分が沈む
  • 体が重たい

だんだん生きる気力もなくなっていました。

「辞めたい」は逃げであり情けないことだと思っていた

いつしか私は

作業療法士をやめたい

仕事を辞めたい

そんな思いばかりするようになりました。

しかし当時は同時にこのような思いもありました。

  • 「もし私が辞めたら誰が担当するんだろう」
  • 迷惑かな
  • 「辞めるなんて“逃げ・甘え”だから良くない」
  • 「なんで私はこんなに弱いんだろう」
  • 「患者さんのほうがずっと苦しい思いをしているのに、辞めたいっていって向き合わないなんて私は最低な人間だ」
  • 「なんでしっかりできないの?
  • 「周りは頑張っているのに、なんで私だけ頑張れないんだろう

そのような思いから

退職 = 悪いこと、逃げ、情けない

となっており、退職できず本音を誰にも打ち明けられずに忙しい日々だけが過ぎていました。

今振り返って思うこと

今、当時のことを振り返って思うことは

頑張りすぎ、ひとりで背負いすぎ

と思います。

完璧主義な性格”もあり

できないことに対して、自分を責めることばかり

「みんな先輩作業療法士は、ひとりで50人を診てきたのだから私もしなきゃ」

50人の患者さんを1人で診るのが厳しいのであれば、

無理に耐えて抱え込む必要もない。

自分が壊れてしまうのであれば、無理しなくてもいい。

もっと上司や周りのスタッフを頼ってもいい。

頼れない環境であれば辞めたらいい。

今ならそう思えます。

あのときの私が弱かったわけじゃなくて、
環境”も大きく影響していたんだと、今ならわかります。

まとめ

当時の私は、ただ一生懸命でした。
真面目に向き合っていたし、手の抜き方もわかりませんでした。

でも、人はずっと全力では走れません。
どんなに好きな仕事でも、環境や責任が重なれば、心は少しずつすり減っていきます。

私が弱かったからではなく、
常に全力疾走でがんばりすぎていただけだと思います。

もし今、「辞めたい」「もう無理かもしれない
そんな気持ちを抱えている人がいるなら、
どうか自分を責めないでほしいです。

電池が切れる前に、立ち止まってもいいと思います。
それは“逃げ”じゃなくて、“自分を守る選択”だからです。

あの頃の私にも、今ならそう伝えたいなと思います。

以上、作業療法士が限界を迎えるまで|がんばりすぎて電池が切れた日のお話でした!

ここまで、お読みいただきありがとうございました!

また、お会いしましょう♪

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