みなさん、こんにちは(^^)
はむちゃんブログを運営している、はむちゃんです!
前回は”限界を迎えた当時のこと”をお話しました。
前回のお話が気になるよって方はこちら⇩からお話読めます。
「作業療法士を辞めたいと思った理由|限界を感じた私の体験談」
今回は「なぜ、あそこまで消耗したのか」を自分なりに整理してみたいと思います。
人は環境によって壊れることがあります。
その事実に気づいたとき、
私は初めて“環境を変える”という選択肢を考えました。
これは、
私がブログ運営、在宅ワークへ動き出すきっかけのお話です。
業務量と責任のバランスが崩れていた
当時は「これが普通」だと思っていました。
でも今振り返ると、明らかに業務量と責任のバランスが崩れていました。
ひとりで50人を担当
「ひとりで50人の患者さんを担当」
今、現役の作業療法士の皆さんはどのくらい患者さんを担当されていますか?
私の場合だと、A病院の回復期では多くても8人。
それがB病院(生活期)では、いきなり50人になりました。
50人分の評価、治療プラン、再評価、書類作成。
しかもそれは一度きりではなく、日々更新されていきます。
今振り返ると、あれは明らかに一人で抱える量ではありませんでした
神経難病という疾患に慣れない日々
「具体的な治療方法がなく、日々緩やかに進行するのが神経難病」
B病院(生活期)に勤めるまで、
「リハビリ=改善」
でした。
しかし、神経難病に関しては国が治療方法ありませんと認めている病。
リハビリで改善できるなら、それは医療の常識が変わるレベルの話です。
神経難病では、目標は“現状維持”。
障害受容と向き合う時間もとても長くなります。
頭では理解していても、心が追いつきませんでした。
「なんで治らないの?」
「なんでリハビリしているのに悪くなるの?」
その言葉を患者さんから向けられるたびに、
私は“理解できないOT”なのではないかと思い込んでいました。
患者さんと幾度となく話し合い、ゴール設定を模索していました。
それでも、緩やかに進行していく難病患者さんをリハビリすることに対して、
私は次第にひとりで抱えきれなくなっていきました。
また、中には
「楽にしてほしい」
と訴える患者さんもいました。
当事者にしかわからない不快感や痛み、精神的苦痛もあると思います。
不快な状態を少しでも改善しようと必死に励んでも
リハビリ拒否や罵声を浴びせられることもありました。
その事実のことばかりを受け取ってしまい、
「私は、患者さんのことを理解することができないOT」
と解釈し自分を責め続けていました。
学会発表という追加タスク
そして当時はもう一つ。
「学会発表」
というタスクを抱えていました。
上司からお願いされて引き受けた初めての学会発表。
しかし、初めてのことはいきなりできるわけもなく、
さらに神経難病の患者さんを対象に発表したため、
計画通りに評価や治療を行うことができず、
とても困難を極めました。
また、深夜2時まで資料を作る日々が半年程度続きました。
本当に自分にできるのかといった
不安や焦燥感を抱えたまま、
50人の担当と学会準備の同時進行の日々。
今考えると、完全にキャパオーバーでした。
理想が高すぎた?
そもそも私の作業療法に対する理想が高すぎたのでしょうか?
私は、ひとりひとりの患者さんに対してしっかり丁寧に向き合ってリハビリを提供したい思いが強いタイプです。
しかし、現場では常に人手不足で
その理想通りのリハビリプランを提供するには、私自身に余裕がありませんでした。
時間や業務に追われすぎて、
結果的に全部中途半端で、患者さんとしっかり向き合うことは困難でした。
理想が高かったのではなく、理想を実現できる環境ではなかったのかなと思います。
私にとって“回復期”で培った感覚を“生活期”にうまく適応できませんでした。
性格との相性
そもそも私の性格にはあっていなかったのではと思います。
- 完璧主義
- 責任感が強い
- 迷惑をかけたくない
このような性格では、ひとりで抱え込んでしまうのもおかしくありません。
全て完璧にこなせないと自分のことが許せない性格では、
中途半端に仕事をする日々に嫌気がさし、
いつしか自分の事が嫌いになります。
また、責任感が強く、迷惑をかけたくないと、
周りになかなか“SOS”を出せませんでした。
例えば、寝たきりの患者さんを“車いすに移乗させたい”
でも、移乗させるにはレベルにもよりますが、人手が必要ですよね?
しかし、現場は人手が足りていない状態。
人手が必要な場面でも、
「申し訳ない」が先に立ち、頼ることができませんでした。
私の性格は長所でもありますが、
環境によっては自分を削る要素にもなっていたと思います。
「辞めたい=逃げ」という思い込み
医療業界にお勤めの方ならわかりやすいとは思いますが、
医療業界には独特な“空気感”がありますよね?
- 常に人手が足りず、仕事が忙しいのは当たり前
- 休日扱いの研修へのほぼ強制参加
- 自己研鑽という名のサービス残業
- 症例発表や学会発表への資料作りでは自宅に持ち帰って行うのが当たり前。
(個人情報を厳密に管理したうえで)
また、よく耳にすると思いますが、
「最初の3年は辞めるな。」
この言葉、呪いのようだなと思いますが、
新人のころは特にこのようなことを言われて
「ここで踏ん張らないと他で通用しない」
といった“錯覚”に陥ってしまっていたなと思います。
そんな日々を過ごしていると、気づけば私は、
「辞めたいと思う自分=甘え」
「辞める=逃げ」
と、勝手に決めつけていました。
でも、今客観的にみてわかるのですが、
あのときの私は、環境そのものよりも、
“辞めちゃいけない”という思い込みにも縛られていました。
本当は、限界を感じていたけど自分で気が付かないふりして。
本当は、助けてほしかったけど、
「みんな頑張っている」という事実が、
自分の苦しさを否定し迷惑をかけてはいけないと。
今ならわかること、まとめ
今、医療業界から離れて少しずつわかったことがあります。
それは、
自分自身が弱かったわけではなく
壊れる前に立ち止まる選択もあったということ。
そして、環境を変えることは逃げではないこと。
実際に勤めているときは、
こんなふうに考える余裕すらありませんでした。
それに気づくまで、私は「逃げるな」と自分に言い続けていました。
だから無理を重ね、
自分が壊れていくことにも気づけなかった。
人は、環境によって壊れることがある。
だから、
私は「環境を変える」という選択をしました。
それが、在宅ワークへ動き出したきっかけです。
今回はここまでです。
最後までお読みいただきありがとうございました!
また、お会いしましょう♪



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